くれぐれも眼を大切に!

大切なものを失ってはじめてその価値に気が付く。賢者はそんな鈍感な生き方をしないはずだが、愚者の自分は苦い経験を通して学ぶばかり。

ある朝に目覚めると、右眼の奥深くから、黒くて巨大で不気味な「浮遊物」が、ゆったりと上下左右している。慎重にことを構えるべきと、眼を閉じた。しかし、浮遊物の姿は消失も、変化もしない。ティッシュ・ペーパーとテープの間に合わせの眼帯を眼鏡で落ちないように支える。

両目を閉じ静かに座る。右眼の浮遊物は一本の丸太から、劇的に姿を変え、音符表の優美な曲線のハ音記号になりゆらゆら揺れていた。この不思議な光景が定期的に赤と黒の色に変わり、険悪というよりきれいに見えた。しかし、自分の身にとんでもない悪いことが起こったと理解した。

幸いなことに役に立つ知識から噂話まで知る家人がいる。すぐに市内にいい眼科医院があるとの評判を思い出した。「何々小学校側」という情報からウエブで医院を探し、医院に電話した。さらに幸いなことに予約なし当日診察が可能で、すぐに外来受診することができた。

検査技師3名に数々の検査を受けた。みな若くて気さくに迎えてくれ、説明も適切で熟練している印象だった。「この場合にどうすればいいか」と迷っている瞬間が1度あったようだった。病んでいる目玉の眼底を撮影する器械の操作だったが、他の技師からの手短な説明で撮影もスムーズに行われ、不安になることもなかった。

諸々の検査を終え、医師の診察になった。診断は、網膜裂孔による網膜剥離寸前、緊急手術が必要だとのことだった。「今日の午後に手術ができる」と、これもまた幸いなことだった。そのまま医院で手術前準備など慌しい時を過ごし,無事に手術が行われ、迫っていた失明を免れた。

手術時間は2時間くらいだったように感じたが、もっと短かったかも知れない。局所麻酔のため、自分の意識はずっとあり、スタッフの会話も聞き取れた。痛みがないが、経験したことのない不可思議な感覚が脳裏を疾走するような、きわめて妙な気分だった。無意識に真ん前に伸ばした右足を回す。「動かない!!」、レーザーメスのような器具を操作していたらしい医師が発する。いけない! 足の回転をやめる。

当日、手術予定者は7名ほどだった。後に付き添い者から聞いたことだと、私の前に手術予定だった若い男性が直前に気分が悪くなり手術がキャンセルになったらしい。彼の気持ちがわけるが、私が猛スピードで近づいていたような苦難に出会わないで済んだことであってほしいと思う。

私は40年に渡るパソコン乱用の報いを食らう崖っぷちに立っていた。寛大な読者の皆さんは警戒して欲しい。静かに追求するだけの無害・無毒な営みであっても、不節制の道を選ぶと放蕩に身を持ち崩す人生と同様な終末が待ち構えている!

80年代前半、東京のある会社で働いた仕事の中心は、8インチ・サイズのフロッピー・ディスクにデータを書き込んだ装置だった。グリーン色に光る文字がブラウン管の画面に映りだされた。製造元は「眼に優しい表示」だと宣伝していた。8時間程度の勤務が終わった後、街中に出ると頭の中で輝くグリーン文字の奔放自在な乱舞がしばらく続いたものだった。暫くしてディスク・ライター装置がパソコンに変わり、常時使用することに慣れてきた。若かったからか、毎日、毎日8時間、10時間でも集中して使っても特別に辛いことだと思わなかった。

のん気この上なくとも肩こりと頭痛に度々悩まされた。それはパソコンの画面を長時間凝視し続けていたことと無関係だったはずがない。夜間に鏡を見ると、充血して真っ赤な目玉一対がこちらを責めるような視線によく出会った。じっくり物事に向き合う姿勢だったら、自分の体の訴えに気づくはずだった。それが今になってやっとわかった。

幸運にも、手術は手遅れではなく、経過も順調だ。それ以来、画面に眼を晒すのは1日で8時間までに制限し、1時間毎に15分程度の休息時間という日程を守っている。眼の疲れを避けるつもりで考えたルールだが、エビデンスに基づいているわけではない。そもそも「眼の疲れ」の具体的な意味がよくわからない。これからも学ぶ余地が多い。

とにかくこれを大野尚登医師と大野眼科クリニックの職員一同に感謝の意を表すことにする。
https://ohno-eye.com

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